2008年08月18日
くらしきを訪ねて
《倉敷》と書くと我々はどうもダムや廃棄物処理場を思い浮かべてしまう。(実際沖縄市にそんな場所がある)
そうではない。岡山県倉敷市のことだ。
漫遊国のメンバーと共に、あるイベントの事で行って来た。拡大解釈すれば仕事なのだ。
僕は倉敷の事はかつて紡績で栄えた町だとか、巨大水島コンビナートの所在地である事だとか、確かいつだったか開通した瀬戸大橋の本州側だったかな? 程度の事しか知らなかった。僕にとっては処女地なのである。

江戸時代この地は天領であり(幕府の直轄地)、地方藩の影響を受ける事無く豊かな自然を背景に物流の中継地として栄え、商人たちによって白壁の土蔵と屋敷が多数作られた。それが現在も『倉敷美観地区』として保存されており、その美しき街並みは全国から多くの観光客を呼び寄せる。
しかし倉敷での旅遊記は他のメンバーが書いているので、ここでは譲る。
僕が最も興味を惹かれたのは、倉敷駅前の商店街についてであった。
倉敷商工会議所の岡副会頭と倉敷文化振興財団の方々に案内してもらった。
大型店舗の台頭やライフスタイルの変化等々、ご他聞にもれず、これまで賑わっていた倉敷の商店街もじわじわと空き店舗が目立つようになっていったとの事。わが街同様全国何処の地方都市商店街でも、当たりまえによく耳にする話である。
しかしこの近年、駅前のえびす商店街あたりに少しずつ変化が見られるのだと言う。
シャッターが上がり始め、空き店舗率が減り、人々が再び街で買い物をするようになったと言う。
様々なイベントを展開し誘客につなげた事もあるが、家賃が下がり始め外部からの出店希望者が増えた事、さらに地元商店街の人たちも自分の本分である商売そのものを見直し、大規模店舗では真似の出来ない店作りを研究・実践して来た事が空き店舗率の低下に結びついたのではなかろうか。との事であった。
確かにここには思わず覗いて見たくなる様な魅力的な店が多い。
昔ながらの八百屋も肉屋も魚屋もある。昭和レトロの駄菓子屋にはラムネが冷やされていてその近くにブランド品専門のバッグ屋があったり、倉敷の街によく似合う白壁の骨董品屋や備前焼専門の店がある。
ある靴屋では4万円以上もする革靴が展示されていて、聞くと、これは見本でこの店は店で製作したオリジナルの靴しか販売しないとの事。そしてお客さんの足に合わせたオンリーワンシューズの専門店でもあるとの事。メーカーのシューズを仕入れて薄利多売の商売をするよりも、この方が商売として十分成り立つのだそうである。


『商店街には大規模店にないような色んな種類の色んな性格の店があって、それぞれがお客様のニーズに応えていってそれぞれが固定客を持っている。そういう魅力的な店が増えればおのずと客も戻ってくる。』
などとその夜の反省会(飲み会)で倉敷地ビールを飲みながらエラソーな事を赤ら顔のしたり顔で、ホザく僕がいた。
しかし…。 言うのは簡単だよな~。

観光ビューローが運営する観光案内所。休憩が出来て、コインロッカーがある。利用率は高いそうだ。
そうではない。岡山県倉敷市のことだ。
漫遊国のメンバーと共に、あるイベントの事で行って来た。拡大解釈すれば仕事なのだ。
僕は倉敷の事はかつて紡績で栄えた町だとか、巨大水島コンビナートの所在地である事だとか、確かいつだったか開通した瀬戸大橋の本州側だったかな? 程度の事しか知らなかった。僕にとっては処女地なのである。
江戸時代この地は天領であり(幕府の直轄地)、地方藩の影響を受ける事無く豊かな自然を背景に物流の中継地として栄え、商人たちによって白壁の土蔵と屋敷が多数作られた。それが現在も『倉敷美観地区』として保存されており、その美しき街並みは全国から多くの観光客を呼び寄せる。
しかし倉敷での旅遊記は他のメンバーが書いているので、ここでは譲る。
僕が最も興味を惹かれたのは、倉敷駅前の商店街についてであった。
倉敷商工会議所の岡副会頭と倉敷文化振興財団の方々に案内してもらった。
大型店舗の台頭やライフスタイルの変化等々、ご他聞にもれず、これまで賑わっていた倉敷の商店街もじわじわと空き店舗が目立つようになっていったとの事。わが街同様全国何処の地方都市商店街でも、当たりまえによく耳にする話である。
しかしこの近年、駅前のえびす商店街あたりに少しずつ変化が見られるのだと言う。
シャッターが上がり始め、空き店舗率が減り、人々が再び街で買い物をするようになったと言う。
様々なイベントを展開し誘客につなげた事もあるが、家賃が下がり始め外部からの出店希望者が増えた事、さらに地元商店街の人たちも自分の本分である商売そのものを見直し、大規模店舗では真似の出来ない店作りを研究・実践して来た事が空き店舗率の低下に結びついたのではなかろうか。との事であった。
確かにここには思わず覗いて見たくなる様な魅力的な店が多い。
昔ながらの八百屋も肉屋も魚屋もある。昭和レトロの駄菓子屋にはラムネが冷やされていてその近くにブランド品専門のバッグ屋があったり、倉敷の街によく似合う白壁の骨董品屋や備前焼専門の店がある。
ある靴屋では4万円以上もする革靴が展示されていて、聞くと、これは見本でこの店は店で製作したオリジナルの靴しか販売しないとの事。そしてお客さんの足に合わせたオンリーワンシューズの専門店でもあるとの事。メーカーのシューズを仕入れて薄利多売の商売をするよりも、この方が商売として十分成り立つのだそうである。
『商店街には大規模店にないような色んな種類の色んな性格の店があって、それぞれがお客様のニーズに応えていってそれぞれが固定客を持っている。そういう魅力的な店が増えればおのずと客も戻ってくる。』
などとその夜の反省会(飲み会)で倉敷地ビールを飲みながらエラソーな事を赤ら顔のしたり顔で、ホザく僕がいた。
しかし…。 言うのは簡単だよな~。
観光ビューローが運営する観光案内所。休憩が出来て、コインロッカーがある。利用率は高いそうだ。
タグ :倉敷
2008年07月09日
恥ずかしかったこと=青春の思い出
20数年前。名古屋の大学に通う大志を抱く青年だった頃のハナシ。
親元を離れ名古屋で4年間大学生活を過ごした。
初めての1人暮らし。
当初は、小うるさい親元から離れた開放感と1人暮らしの気軽さで、(女なしの)青春を満喫するが、それもつかの間。しばらくすると、炊事、洗濯、家計のやりくり全てが自己責任の1人暮らしの労苦と侘しさと人生の厳しさを実感する事となった。当然貧乏困窮生活であった。
今の僕が、怠惰ながらも何とか人並みの社会生活を過ごせているのも、あの頃の経験に依る所が大きい。
よって夏休みにはコザへ帰省するのであるが、交通手段は飛行機しかない。
当時は今ほど複雑な割引制度などなく、季節を問わず料金は均一でチケットの種類は往復割引、団体割引、回数券位のものであった。貧乏学生の家計にとっては大きな出費である。
しかし、世間は志し高き貧乏青年を見捨てない。スカイメイトなる有難き制度があった。
全国全路線全便空席さえあれば、50%割引。しつこいようだが半額である。
この制度は大いに利用させてもらった。
しかし、22歳になると同時にその権利が失効する。大切な童貞を失うかのごとく…。
そこで登場するのが偽造スカイメイトカード。
当時はおおらかゆえ、イマドキのtaspoのような訳の分からぬ官僚根性丸出しのコザカシイ審査などしない。
その手口はこうである。
カードの発行には、一応証明書の提出が義務付けられているので、年齢の証明として保険証を使用する。当時の保険証はカードではない。紙製。ここがミソなのだ。
保険証をコピーする。そしてその保険証のコピーの生年月日の生年の項を修正液で消し、その上から新たな生年月日を書き込む。
それを再びコピーしたら、押しも押されもせぬ証明書の完成である。
それを旅行代理店に持ち込み、スカイメイトカードを申請すると数日後には21歳以下の君が出来上がるという寸法だ。代理店に友人(共犯者)でもいればより完全犯罪の率が高い。
しかし、その手の事は決して真似してはイケナイ。
エッ? お前もヤッタだろって?
志高きセーネンがそんな事する訳がない。(もう時効だろ!)
話が大きくそれてしまった。おお、そうだ恥ずかしいハナシであった。言っておくが恥ずべきハナシではないのだよ。
そんな訳で当時は偽造スカイメイトが大いに出まわり、それなりに市場の活性化に役立っていたように思う。
これはあくまで僕の想像だが、航空会社もその実態を見て見ぬフリの感があり、あまりおおっぴらに認めてしまうのも社会通念上よくないと考え、時々抜き打ち的に検査をする。
スカイメイト使用の怪しい老け顔男女に空港のチェックインカウンターで、
『お客様、干支は何でしょうか?』
などと係りのネーチャンがスルドク笑顔で聞いてくる。
しかしテキもさるもの、そんな事先刻承知。余裕のしたり顔で
『辰年生まれの21歳』
などと聞かれもしないことまで答えて、ゲートをいとも簡単にくぐっていく。
そして僕の21歳の夏。
正真正銘のホンモノスカイメイト証をもって名古屋に戻る為に那覇空港にたたずむ。
友人たち、ふるさと沖縄とのしばしの別れを惜しみ、この夏の思い出を一つ一つ胸に刻み込むように瞑想に浸り、悦に入っていた。まるで映画の主人公。
アナウンスがあった。
どうやら乗れるらしい。
チェックインカウンターへ向かう。なかなか美形のネーチャンだ。
スカイメイト証を差し出す。
すると突然。笑顔の美形ネーチャンがその笑顔とは裏腹の無慈悲な機械声で聞いた
『お客様、干支は何でしょうか?』
激しく動揺した。俺は21歳に見えないのか? 俺は老け顔か?
自分の容姿を恨んだ! 親を恨んだ! そして叫んだ!
『しし座ですっ!』
一瞬の静寂の後、大爆笑が起こった。
カウンター内の美形ネーチャンのほかに数人の係りの人がこの会話を聞いていた。
ネーチャンは7秒ほど腹を抱えて笑った後、やっと絞り出すような声で言った。
『けっ結構です! あっあちらからお進み下さい。よ、よい旅を。』
何せ純情な21歳の青年である。顔から火が吹いた。汗が滴り落ちた。
朦朧として飛行機に乗り込むこの時の僕は、瞬間血圧200は超えていたに違いない。
名古屋までのフライトがどのような物であったかは覚えていない。
ただ、小牧空港に降り立つ飛行機の中から見る濃尾平野に沈みゆく夕日がもの凄くきれいだった。傷心の俺は夕日に問うた。
俺はオッサン顔か?
おわり
親元を離れ名古屋で4年間大学生活を過ごした。
初めての1人暮らし。
当初は、小うるさい親元から離れた開放感と1人暮らしの気軽さで、(女なしの)青春を満喫するが、それもつかの間。しばらくすると、炊事、洗濯、家計のやりくり全てが自己責任の1人暮らしの労苦と侘しさと人生の厳しさを実感する事となった。当然貧乏困窮生活であった。
今の僕が、怠惰ながらも何とか人並みの社会生活を過ごせているのも、あの頃の経験に依る所が大きい。
よって夏休みにはコザへ帰省するのであるが、交通手段は飛行機しかない。
当時は今ほど複雑な割引制度などなく、季節を問わず料金は均一でチケットの種類は往復割引、団体割引、回数券位のものであった。貧乏学生の家計にとっては大きな出費である。
しかし、世間は志し高き貧乏青年を見捨てない。スカイメイトなる有難き制度があった。
全国全路線全便空席さえあれば、50%割引。しつこいようだが半額である。
この制度は大いに利用させてもらった。
しかし、22歳になると同時にその権利が失効する。大切な童貞を失うかのごとく…。
そこで登場するのが偽造スカイメイトカード。
当時はおおらかゆえ、イマドキのtaspoのような訳の分からぬ官僚根性丸出しのコザカシイ審査などしない。
その手口はこうである。
カードの発行には、一応証明書の提出が義務付けられているので、年齢の証明として保険証を使用する。当時の保険証はカードではない。紙製。ここがミソなのだ。
保険証をコピーする。そしてその保険証のコピーの生年月日の生年の項を修正液で消し、その上から新たな生年月日を書き込む。
それを再びコピーしたら、押しも押されもせぬ証明書の完成である。
それを旅行代理店に持ち込み、スカイメイトカードを申請すると数日後には21歳以下の君が出来上がるという寸法だ。代理店に友人(共犯者)でもいればより完全犯罪の率が高い。
しかし、その手の事は決して真似してはイケナイ。
エッ? お前もヤッタだろって?
志高きセーネンがそんな事する訳がない。(もう時効だろ!)
話が大きくそれてしまった。おお、そうだ恥ずかしいハナシであった。言っておくが恥ずべきハナシではないのだよ。
そんな訳で当時は偽造スカイメイトが大いに出まわり、それなりに市場の活性化に役立っていたように思う。
これはあくまで僕の想像だが、航空会社もその実態を見て見ぬフリの感があり、あまりおおっぴらに認めてしまうのも社会通念上よくないと考え、時々抜き打ち的に検査をする。
スカイメイト使用の怪しい老け顔男女に空港のチェックインカウンターで、
『お客様、干支は何でしょうか?』
などと係りのネーチャンがスルドク笑顔で聞いてくる。
しかしテキもさるもの、そんな事先刻承知。余裕のしたり顔で
『辰年生まれの21歳』
などと聞かれもしないことまで答えて、ゲートをいとも簡単にくぐっていく。
そして僕の21歳の夏。
正真正銘のホンモノスカイメイト証をもって名古屋に戻る為に那覇空港にたたずむ。
友人たち、ふるさと沖縄とのしばしの別れを惜しみ、この夏の思い出を一つ一つ胸に刻み込むように瞑想に浸り、悦に入っていた。まるで映画の主人公。
アナウンスがあった。
どうやら乗れるらしい。
チェックインカウンターへ向かう。なかなか美形のネーチャンだ。
スカイメイト証を差し出す。
すると突然。笑顔の美形ネーチャンがその笑顔とは裏腹の無慈悲な機械声で聞いた
『お客様、干支は何でしょうか?』
激しく動揺した。俺は21歳に見えないのか? 俺は老け顔か?
自分の容姿を恨んだ! 親を恨んだ! そして叫んだ!
『しし座ですっ!』
一瞬の静寂の後、大爆笑が起こった。
カウンター内の美形ネーチャンのほかに数人の係りの人がこの会話を聞いていた。
ネーチャンは7秒ほど腹を抱えて笑った後、やっと絞り出すような声で言った。
『けっ結構です! あっあちらからお進み下さい。よ、よい旅を。』
何せ純情な21歳の青年である。顔から火が吹いた。汗が滴り落ちた。
朦朧として飛行機に乗り込むこの時の僕は、瞬間血圧200は超えていたに違いない。
名古屋までのフライトがどのような物であったかは覚えていない。
ただ、小牧空港に降り立つ飛行機の中から見る濃尾平野に沈みゆく夕日がもの凄くきれいだった。傷心の俺は夕日に問うた。
俺はオッサン顔か?
おわり
2008年07月08日
暑気あたり
先日の出来事。
このところの暑さと二日酔いで最悪の気分。
今日は絶対に何があろうと誰に誘われようと、居留守や仮病を使ってでもおとなしくしていようと心に誓い、その決心を確固たるモノにする為。ツタヤへ行き一泊返しでビデオを借り、ついでに文庫本も買った。
朦朧としたアタマでは、ツタヤのカードを出すのももどかしく、そそくさと金を払い、店員の返却日の長たらしい説明を半分聞き流し家路へと急いだ。
7歩ほど歩いた後、店員に呼び止められた。
『お客さん、商品忘れてます!』
動揺した僕であったが、なにくわぬ顔でレジに戻った。
『ウム!』
などとエラソーに商品を受け取り、再びきびすを返す僕がいた。大人の対応なのだ。
そして翌日、久しぶりの買出しで、タウンプラザかねひでコザ十字路店に行く。
暑さと、買出し商品の多さと、前に並ぶオバサンのノロノロレジ払いに少々イライラが募ったが、ここは大人の対応。ササッとレジを済ませ、領収書を受け取り、家路へ向かう。
3歩ほど歩いてところで店員に呼び止められた。
『お客さん!商品!』
声がデカイ! 今度は他の客の視線を浴びてしまったので、さすがにエラソーに
『ウムッ!』
はマズイと思ったので、今度は
『ドモッ!ドモッ!』
とハニカミ薄ら笑いを浮かべながら商品をひったくり、その場をしのいだ。
こんな経験は初めてではない。僕は考え事をすると、ところかまわず瞑想状態に陥りこのような凡ミスをしでかすことがあるが、今回はチト違う。しかも二日つづけて…。
もはや我が脳は、アルコールで縮んでしまったのか、ハタマタ単なる暑さゆえの脳的暑気あたり(そんな物があるかどうかは分からない)なのか…。
などと思考をめぐらすうちに、何の脈絡もなく過去の恥ずかしい経験をいくつか思い出してしまった。
あれは20数年前の出来事。
まだ僕が紅顔の美少年だった頃のハナシ。
残念ながら本日は時間切れ。
次回へと続く・・・・。
このところの暑さと二日酔いで最悪の気分。
今日は絶対に何があろうと誰に誘われようと、居留守や仮病を使ってでもおとなしくしていようと心に誓い、その決心を確固たるモノにする為。ツタヤへ行き一泊返しでビデオを借り、ついでに文庫本も買った。
朦朧としたアタマでは、ツタヤのカードを出すのももどかしく、そそくさと金を払い、店員の返却日の長たらしい説明を半分聞き流し家路へと急いだ。
7歩ほど歩いた後、店員に呼び止められた。
『お客さん、商品忘れてます!』
動揺した僕であったが、なにくわぬ顔でレジに戻った。
『ウム!』
などとエラソーに商品を受け取り、再びきびすを返す僕がいた。大人の対応なのだ。
そして翌日、久しぶりの買出しで、タウンプラザかねひでコザ十字路店に行く。
暑さと、買出し商品の多さと、前に並ぶオバサンのノロノロレジ払いに少々イライラが募ったが、ここは大人の対応。ササッとレジを済ませ、領収書を受け取り、家路へ向かう。
3歩ほど歩いてところで店員に呼び止められた。
『お客さん!商品!』
声がデカイ! 今度は他の客の視線を浴びてしまったので、さすがにエラソーに
『ウムッ!』
はマズイと思ったので、今度は
『ドモッ!ドモッ!』
とハニカミ薄ら笑いを浮かべながら商品をひったくり、その場をしのいだ。
こんな経験は初めてではない。僕は考え事をすると、ところかまわず瞑想状態に陥りこのような凡ミスをしでかすことがあるが、今回はチト違う。しかも二日つづけて…。
もはや我が脳は、アルコールで縮んでしまったのか、ハタマタ単なる暑さゆえの脳的暑気あたり(そんな物があるかどうかは分からない)なのか…。
などと思考をめぐらすうちに、何の脈絡もなく過去の恥ずかしい経験をいくつか思い出してしまった。
あれは20数年前の出来事。
まだ僕が紅顔の美少年だった頃のハナシ。
残念ながら本日は時間切れ。
次回へと続く・・・・。
2008年06月06日
最強(凶)オバサン!
デイゴホテル内レストラン『うりずん』。
自分でいうのもナンだが、B級グルメ界でなかなかの人気。
飛び込み客よりも、なぜか宴会、パーティー、模合い、グループでの会食等の予約客が多い。
しかも、その構成客層は40代から70代までのオバサマ方がほぼ8割を占める。
人生の、酸いも辛いも、美味いも不味いも、高いも安いも知り尽くした最強の面々である。
そういう客層に支えられていると言う事は、大抵の事では動じない。コワイモノナシなのである。
とまれ。ここで 『私のことか?』 などとウチアタイ(心当たり)をしている読者の方がいらしても誤解しないで頂きたい。あくまでウチの常連のお客様の一部の大半の方の事である。日本語になってないが、客の悪口を書くと我が零細企業の商売に微妙な影響を与えかねないので苦しい心中察してお読み頂きたい。
さて話を戻す。
ある日の昼食時の事。
いつもの○○会の定例会。メンバーは前述の8割層を占めるオバサマ方。
月に一度気の合う仲間が集まり食事をかねての親睦模合い。いつものように個室を提供。
1000円のお任せランチを摂りながら和気あいあいと会も滞りなく進みしばらく経った頃。
そこに会のメンバーの一人のややメタボ風丸顔オバサマが遅れて到着。
『私は食事を済ませて来たからコーヒーだけでいいわ!』
とオバサマはベテランウエイトレスY子に告げた。
《個室を提供してコーヒーじゃ割に合わないけど、他の方々がちゃんとランチを摂ってくれたし…。まあいいかぁ~》とY子が思ったかどうかは定かでない。
そして忌憚のない仲間たちと楽しい時を過ごしたオバサマ方は満足げな顔で個室から退出し、それぞれが食事代の清算の為レジに並んだ。
ほぼ全員が清算を終えた頃、ベテランウエイトレスY子は先述のメタボオバサンからまだコーヒー代のお支払いを頂いてないのを見逃さなかった。
勇気を振り絞りまだ友達とのユンタク(おしゃべり)に夢中なメタボオバサンに近づき…
Y子 『あの~、まだご清算いただいておりませんが…』
オバサン 『何言ってるの! 私、今日は食事してないわよ!』
Y子 『ええ、ですがコーヒーをお飲みになっております。』
オバサン 『ランチタイムだからコーヒーはサービスでタダでしょ!』
Y子 『ランチタイムのドリンクのサービスは、お食事をご注文されたお客様のみタダでございまして~、コーヒーだけなら250円になりますが…』
オバサン 『ハッサビヨ!(あれま!)食事は他の人が取っているさ!あんたたちはケチだね~!』
Y子 『・・・・・』
とメタボ丸顔オバサンはまん丸い目をキツネ目に吊り上げて、中国語の第2声のイントネーションの様な素っ頓狂な声音で捨て台詞を吐きながら、250円を放り投げるようにして去って行ったそうな。
あまりの強引な論理の展開に言葉を失ったA子が心の中で、《あんなオバサンには決してなるまい!!》と誓ったかどうかは定かでない。
最強(凶)オバサンの思考の奥底に潜む常識と非常識の境界線は、僕にとって永遠の神秘である。
おわり
2008年05月28日
続報! 犯人に告ぐ!
ついに犯人逮捕!
去年のクリスマスの頃にデイゴホテルで起きた客室液晶テレビ盗難事件。
(昨年12月27日掲載 犯人に告ぐ! 絶対参照)
ご記憶の方も多いと思う。たくさんの人にその後の経過を聞かれた。
証拠多数ありで防犯カメラに面相も写っており、宿泊票の記載も本名で住所も実家。逮捕は時間の問題かと思われたが、意外にその後の進展はなかった。
がしか~し。
世の中そんなに甘くない。まして窃盗行為が許されるわけでもない。
4月後半頃、沖縄署の刑事課から事件の進捗についての連絡があった。
なんと、犯人のSは住居を転々とした後、4月某日、県内某警察署に別件で逮捕されていた。
その情報を得た沖縄署の刑事がその署へ出向き、接見取調べを行うと素直にデイゴホテルでの犯行を自供したとの事。
犯人Sの別件逮捕理由を尋ねても、ケーサツは本事案に関わること意外は口が固く、はっきりと教えてくれなかったが、僕の鋭い分析観察ではどうも別件も窃盗クサい。
ケーサツによると犯人Sは初犯で、逮捕によりすっかり観念した様子で全て洗いざらいきれいに吐いて今は犯行を悔いているとの事。
実況見分でホテルの犯行現場まで来たが、彼はフロントの前を通り過ぎる時に、しょぼくれ、うなだれ、すまなさそうな顔をしてぴょこりとあたまを下げた。
何処にでもいるフツーの青年の顔であった。
さて、持ち去られた液晶テレビの行方である。
犯人によると、その日の内に市内の某古物商(最近流行りの“何でも売ります買います”のアレ)に持って行き現金化したとの事。 (いくらで引き取られたか興味のある所だが…)
しかし、あれから4ヶ月あまり経っている。ほぼ絶望視していたのであるが…。
ところがどっこいこのテレビ。しぶとく生きていた。奇跡的に売れてなかった。
古物商は原則的に盗品を引き取った場合、その持ち主に返さねばならないとの事。
期待はしていなかったが、テレビも無事戻ってきたのであった。
真にメデタシメデタシなのであった。

奇跡の生還を遂げた液晶テレビ
犯行の動機が、仕事にあぶれ適当な仕事がみつからず、生活費に困り…。との事。
そんな人は世の中にたくさんいる。それを容認したら、世の中泥棒だらけだ!
その気になればどんな仕事だって出来るはずだ。
要は本人の心がけの問題なのだ。
と、心の中でつぶやくが、何故かやるせない気持ちになる。
『貧すれば、鈍する』
そんな言葉が浮かんできた。
健康な青年が職に就けない。そんな世の中になってしまったのだろうか?
戻ってきた液晶テレビをしみじみと眺めながら、なにやら複雑な気持ちになった。
『犯人よ! もう君に恨みはない。しっかりと更生の道を歩んでほしい。』
今日のオレはやけにカッコイイではないか…。
おわり
去年のクリスマスの頃にデイゴホテルで起きた客室液晶テレビ盗難事件。
(昨年12月27日掲載 犯人に告ぐ! 絶対参照)
ご記憶の方も多いと思う。たくさんの人にその後の経過を聞かれた。
証拠多数ありで防犯カメラに面相も写っており、宿泊票の記載も本名で住所も実家。逮捕は時間の問題かと思われたが、意外にその後の進展はなかった。
がしか~し。
世の中そんなに甘くない。まして窃盗行為が許されるわけでもない。
4月後半頃、沖縄署の刑事課から事件の進捗についての連絡があった。
なんと、犯人のSは住居を転々とした後、4月某日、県内某警察署に別件で逮捕されていた。
その情報を得た沖縄署の刑事がその署へ出向き、接見取調べを行うと素直にデイゴホテルでの犯行を自供したとの事。
犯人Sの別件逮捕理由を尋ねても、ケーサツは本事案に関わること意外は口が固く、はっきりと教えてくれなかったが、僕の鋭い分析観察ではどうも別件も窃盗クサい。
ケーサツによると犯人Sは初犯で、逮捕によりすっかり観念した様子で全て洗いざらいきれいに吐いて今は犯行を悔いているとの事。
実況見分でホテルの犯行現場まで来たが、彼はフロントの前を通り過ぎる時に、しょぼくれ、うなだれ、すまなさそうな顔をしてぴょこりとあたまを下げた。
何処にでもいるフツーの青年の顔であった。
さて、持ち去られた液晶テレビの行方である。
犯人によると、その日の内に市内の某古物商(最近流行りの“何でも売ります買います”のアレ)に持って行き現金化したとの事。 (いくらで引き取られたか興味のある所だが…)
しかし、あれから4ヶ月あまり経っている。ほぼ絶望視していたのであるが…。
ところがどっこいこのテレビ。しぶとく生きていた。奇跡的に売れてなかった。
古物商は原則的に盗品を引き取った場合、その持ち主に返さねばならないとの事。
期待はしていなかったが、テレビも無事戻ってきたのであった。
真にメデタシメデタシなのであった。
奇跡の生還を遂げた液晶テレビ
犯行の動機が、仕事にあぶれ適当な仕事がみつからず、生活費に困り…。との事。
そんな人は世の中にたくさんいる。それを容認したら、世の中泥棒だらけだ!
その気になればどんな仕事だって出来るはずだ。
要は本人の心がけの問題なのだ。
と、心の中でつぶやくが、何故かやるせない気持ちになる。
『貧すれば、鈍する』
そんな言葉が浮かんできた。
健康な青年が職に就けない。そんな世の中になってしまったのだろうか?
戻ってきた液晶テレビをしみじみと眺めながら、なにやら複雑な気持ちになった。
『犯人よ! もう君に恨みはない。しっかりと更生の道を歩んでほしい。』
今日のオレはやけにカッコイイではないか…。
おわり
2008年05月13日
香港漫遊記=ラストはマカオ
香港漫遊記=ラストはマカオ
マカオといえば何を連想するであろうか?
まず何といってもカジノ。そしてお次は…?
なかなか浮かんでこない。それぐらいカジノの印象が強烈ではなかろうか。
マカオツアーの出発時間はものすごく早い。朝7時過ぎにはホテルに迎えが来る。
フェリーでわずか1時間足らずで着いてしまうのであるが、出入国に時間がかかってしまう事と、見所が意外に多い。
それを一日で済まそうとすると、どうしてもこの時間の出発になってしまうのだ。
我々ツアー一行は、出入国検査を経た後、9時過ぎにはマカオの地を踏みしめていた。
しかし待てよ…。賢明な読者はお気づきだろう。
香港は1997年にイギリスから、マカオは1999年にポルトガルからそれぞれ返還されて現在は同じ中国のはずではないか?
何故パスポートや出入国検査が必要なのか?
香港から地続きのシンセンや北京へ行くのも同様に検査があるとの事。〈地元の人でも〉
コレが1国2制度というヤツか…。
マカオは思い描いていたイメージとだいぶ違った。
アジアのラスベガスなどと呼ばれているので、あのスケールのデカイラスベガス的スフィンクスやピラミッドの大ホテルやテーマパーク、大道芸、アトラクション、毒キノコ的色使いのネオンサインという物を想像していたのであるが、そのような気配がない(時間が早いせいか?)。
ガイドさんの案内でバスを降りて石畳の古い町並みを歩く。
1500年代にいち早くヨーロッパ文化が根付いた所だけあって、町並みは小欧州。
街の中に広場、城壁、要塞、教会、天主堂、などが残っていてその中で人々が暮らしている。
ヨーロッパ以上にヨーロッパっぽいね!
あ、そうそう、歴史教科書に登場するあのフランシスコ=ザビエルもマカオで生涯の大半を過ごしたのだそうである。
もちろんこのような街並みはマカオ全体のホンの一部であるが、それらの殆どが世界遺産に登録されていて、その数何と30箇所!ハンパじゃない。
アジアの一小都市でヨーロッパを彷彿させるというのも、なんだか奇妙な感じだ。
ガイド氏いわく。
『むしろマカオの面白さは、カジノよりも歴史よ!世界遺産よ!』

聖ドミンゴ大聖堂跡

ヨーロッパ風の街並み

教会の中で本格的楽団が入って公開演奏をしていた。
その後マカオタワー(338m)に上ったが、最近はやりのどこにでもあるような代物なので特段珍しくもない。
が、しか~し、恐ろしいアトラクションがある。
ナント300メートル超のタワーの外に出て、タワーの鉄骨の上を(命綱をつけてはいるが)ぐるぐる歩くというもの(しかも参加料を払って)。
高所恐怖症の僕はタワーに登るだけでも躊躇するのに、窓の向こうを人が歩いているのを見るだけで胸が悪くなる。
そして圧巻は、タワーのその鉄骨の上からバンジージャンプをするというもの(コレも参加料を払う)。
これなぞほとんど宇宙人のなせるワザ。1億円あげると言われても絶対にやらない!
このアトラクション、毎日のように多数の参加者がいる。世界は広い。

身の毛もよだつ! 宇宙人たち。

タワーから望むマカオ市街。
さて問題のカジノである。
マカオのカジノの売上は、去年ついにラスベガスのそれを越えたという。
という事は、世界一!
ラスベガスは今や街全体がテーマーパーク化し、ありとあらゆる方法で観光客を惹きつけていてカジノ目的だけの客は10パーセント程度だという。
街全体の総収入はラスベガスに及ばないにしても、カジノ単体の売上だけでラスベガスを抜くということは並大抵のことではない。
娘達がまだ未成年で、カジノ場には入場できず、僕もバクチにあまり興味がないので周辺を遠巻きに眺めるしかなかったのだが、しかしながら、昼間だったせいかカジノの活気があまり感じられない。
きっと建物の中では、熱き戦いが繰り広げられているに違いない。
マカオという街はたった一日だけの滞在では、少し物足りないかもしれない。
もっと見所はあるような気がするが、それは次回への楽しみに取って置く事にしよう。
そして、あっという間に夕方近くになりマカオを後にした。
香港へ戻り、夕食は潮州料理の店で堪能し、香港名物《香港ハーバーのイルミネーション》を鑑賞する。湾岸から、海上で音楽に合わせて舞う幻想的な光のダンスとでも言おうか、とにかくスケールがでかく感動的だ。コレは詳しく書かない。 見るべし!

光のイルミネーション。上手く撮れていない。まあよいではないか。
こうやって我が宮城家の旅も終わりを迎えようとしている。
歴史に翻弄されながらも、強くたくましく生きてきた香港・マカオの人々。
このエネルギー溢れる街は、いまだ留まるところを知らず変化をし続ける。
この地で家族とともに過ごせた3日間は決して忘れることはないだろう。
もう明日は沖縄へ帰る日だ。
朝ホテルから空港へ直行である。
再見香港。謝謝香港。我想再来!
終わり
マカオといえば何を連想するであろうか?
まず何といってもカジノ。そしてお次は…?
なかなか浮かんでこない。それぐらいカジノの印象が強烈ではなかろうか。
マカオツアーの出発時間はものすごく早い。朝7時過ぎにはホテルに迎えが来る。
フェリーでわずか1時間足らずで着いてしまうのであるが、出入国に時間がかかってしまう事と、見所が意外に多い。
それを一日で済まそうとすると、どうしてもこの時間の出発になってしまうのだ。
我々ツアー一行は、出入国検査を経た後、9時過ぎにはマカオの地を踏みしめていた。
しかし待てよ…。賢明な読者はお気づきだろう。
香港は1997年にイギリスから、マカオは1999年にポルトガルからそれぞれ返還されて現在は同じ中国のはずではないか?
何故パスポートや出入国検査が必要なのか?
香港から地続きのシンセンや北京へ行くのも同様に検査があるとの事。〈地元の人でも〉
コレが1国2制度というヤツか…。
マカオは思い描いていたイメージとだいぶ違った。
アジアのラスベガスなどと呼ばれているので、あのスケールのデカイラスベガス的スフィンクスやピラミッドの大ホテルやテーマパーク、大道芸、アトラクション、毒キノコ的色使いのネオンサインという物を想像していたのであるが、そのような気配がない(時間が早いせいか?)。
ガイドさんの案内でバスを降りて石畳の古い町並みを歩く。
1500年代にいち早くヨーロッパ文化が根付いた所だけあって、町並みは小欧州。
街の中に広場、城壁、要塞、教会、天主堂、などが残っていてその中で人々が暮らしている。
ヨーロッパ以上にヨーロッパっぽいね!
あ、そうそう、歴史教科書に登場するあのフランシスコ=ザビエルもマカオで生涯の大半を過ごしたのだそうである。
もちろんこのような街並みはマカオ全体のホンの一部であるが、それらの殆どが世界遺産に登録されていて、その数何と30箇所!ハンパじゃない。
アジアの一小都市でヨーロッパを彷彿させるというのも、なんだか奇妙な感じだ。
ガイド氏いわく。
『むしろマカオの面白さは、カジノよりも歴史よ!世界遺産よ!』
聖ドミンゴ大聖堂跡
ヨーロッパ風の街並み
教会の中で本格的楽団が入って公開演奏をしていた。
その後マカオタワー(338m)に上ったが、最近はやりのどこにでもあるような代物なので特段珍しくもない。
が、しか~し、恐ろしいアトラクションがある。
ナント300メートル超のタワーの外に出て、タワーの鉄骨の上を(命綱をつけてはいるが)ぐるぐる歩くというもの(しかも参加料を払って)。
高所恐怖症の僕はタワーに登るだけでも躊躇するのに、窓の向こうを人が歩いているのを見るだけで胸が悪くなる。
そして圧巻は、タワーのその鉄骨の上からバンジージャンプをするというもの(コレも参加料を払う)。
これなぞほとんど宇宙人のなせるワザ。1億円あげると言われても絶対にやらない!
このアトラクション、毎日のように多数の参加者がいる。世界は広い。
身の毛もよだつ! 宇宙人たち。
タワーから望むマカオ市街。
さて問題のカジノである。
マカオのカジノの売上は、去年ついにラスベガスのそれを越えたという。
という事は、世界一!
ラスベガスは今や街全体がテーマーパーク化し、ありとあらゆる方法で観光客を惹きつけていてカジノ目的だけの客は10パーセント程度だという。
街全体の総収入はラスベガスに及ばないにしても、カジノ単体の売上だけでラスベガスを抜くということは並大抵のことではない。
娘達がまだ未成年で、カジノ場には入場できず、僕もバクチにあまり興味がないので周辺を遠巻きに眺めるしかなかったのだが、しかしながら、昼間だったせいかカジノの活気があまり感じられない。
きっと建物の中では、熱き戦いが繰り広げられているに違いない。
マカオという街はたった一日だけの滞在では、少し物足りないかもしれない。
もっと見所はあるような気がするが、それは次回への楽しみに取って置く事にしよう。
そして、あっという間に夕方近くになりマカオを後にした。
香港へ戻り、夕食は潮州料理の店で堪能し、香港名物《香港ハーバーのイルミネーション》を鑑賞する。湾岸から、海上で音楽に合わせて舞う幻想的な光のダンスとでも言おうか、とにかくスケールがでかく感動的だ。コレは詳しく書かない。 見るべし!
光のイルミネーション。上手く撮れていない。まあよいではないか。
こうやって我が宮城家の旅も終わりを迎えようとしている。
歴史に翻弄されながらも、強くたくましく生きてきた香港・マカオの人々。
このエネルギー溢れる街は、いまだ留まるところを知らず変化をし続ける。
この地で家族とともに過ごせた3日間は決して忘れることはないだろう。
もう明日は沖縄へ帰る日だ。
朝ホテルから空港へ直行である。
再見香港。謝謝香港。我想再来!
終わり
2008年05月09日
香港漫遊記=香港2日目 Vol.2
香港2日目 Vol.2
いつもながらご無沙汰をしております。香港漫遊記再開します。
まずは、香港2日目Vol.1をお読み下さい。(私でさえ何を書いたか忘れていた)
さて前回は、昼の観光が終わり夜の第2部へ向かうと言う所で終わった。
わが一家は、オプショナルツアーの待ち合わせ場所で無事にピックアップしてもらい、今夜の予定である『レイユームーンの夕食とオープントップバス&女人街』へと出発した。
まずはレイユームーンで食事から始めるとの事。
レイユームーンと言うのは『鯉魚門』と書き、いわゆる漁村。そこに魚市場があり。そして新鮮な魚介類を食べさせてくれる食い物屋が立ち並ぶ。
魚市場で買った魚介類を近くの屋台やレストランに持ち込むとお好みで調理してくれるというのだが、そのあたりのシステムは那覇の公設市場のそれとよく似ている。
まだ生きたままの魚介類が店頭に立ち並び、生簀ではさまざまな美味そうな海鮮が、食われるのを今か今かと待っている。

なぜか入り口に鳥居みたいな物ががあり、『鯉魚門』と書いてあった。

こんな感じで、生鮮魚介類が並んでいる。
強烈なにおいの立ち込める小汚い(失礼)市場の中をしばらく歩き、この中では割ときれいな、生簀のあるレストランに案内され食事が始まった。
カニ・エビ・あわびと食材は豪華であるが、うーん…。
グルメ?を自称する僕の胃袋に感動を与えるには至らない。不味くはないんだけどね…。
食材は新鮮なのだろうけど、カニは小ぶりで中身が少なく、ホジる難儀さと収穫量があわないし、エビは5センチ位の小さいヤツで、炒め物の中に入っているであろうあわびは見つけるのが困難なほど少量だ。

カニの炒め物
まあ、期待感が大き過ぎた事と連日の美食攻撃のおかげで少々の事では感動しなくなったのであろうな。と自分を納得させ次の行程へと移動する。
さて、お次の行程は香港名物〈2階建てオープントップバス〉を貸切ってネオンきらめく猥雑な夜の香港の街をドライブするというもの。
この日は同乗者が少なく2階最前列特等席に乗り込みスタート!
バスは疾走する! 香港の街中を。
2階から見下ろすと街の雰囲気はずいぶん違う。
トンネルのように林立するネオン看板の下を、バスがくぐり抜けていく感じだ。
香港の看板は、横に対する規則はゆるいが、縦に対しては2階建てバスの高さを基準にしているとガイドが説明していた。
地面を歩いていると生暖かい風も、高い位置にいると心なしかほほにさわやか心地よい。

看板の下をくぐり抜ける感じで・・・。
しばらくのドライブの後、女人街という香港でもっとも有名な商店街にバスを止め、散策する事になる。

とんでもない所である。
屋台が所狭しと立ち並び、まさに“足の踏み場もない”とはこの事。
人口密度?が、一平方メートル当たり3人という感じか!
ちょうど全島エイサー祭りの時の、ピーク時の球場前の混雑を想像すればよろしい。
香港のマチヤグァー(商店街)の様子は、VOL.1で書いているので割愛する。
要するに〈女人街〉は香港のマチヤグァーの最強版なのだ。
疲れたが、とても楽しく充実した一日を過ごし家路(ホテル路)に着く。
さあ、明日はいよいよ初体験マカオ観光だ! 早起きせねば。
まだ見ぬマカオに思いをはせながら、アルコールなしで深い眠りに着く僕であった。
つづく
いつもながらご無沙汰をしております。香港漫遊記再開します。
まずは、香港2日目Vol.1をお読み下さい。(私でさえ何を書いたか忘れていた)
さて前回は、昼の観光が終わり夜の第2部へ向かうと言う所で終わった。
わが一家は、オプショナルツアーの待ち合わせ場所で無事にピックアップしてもらい、今夜の予定である『レイユームーンの夕食とオープントップバス&女人街』へと出発した。
まずはレイユームーンで食事から始めるとの事。
レイユームーンと言うのは『鯉魚門』と書き、いわゆる漁村。そこに魚市場があり。そして新鮮な魚介類を食べさせてくれる食い物屋が立ち並ぶ。
魚市場で買った魚介類を近くの屋台やレストランに持ち込むとお好みで調理してくれるというのだが、そのあたりのシステムは那覇の公設市場のそれとよく似ている。
まだ生きたままの魚介類が店頭に立ち並び、生簀ではさまざまな美味そうな海鮮が、食われるのを今か今かと待っている。
なぜか入り口に鳥居みたいな物ががあり、『鯉魚門』と書いてあった。
こんな感じで、生鮮魚介類が並んでいる。
強烈なにおいの立ち込める小汚い(失礼)市場の中をしばらく歩き、この中では割ときれいな、生簀のあるレストランに案内され食事が始まった。
カニ・エビ・あわびと食材は豪華であるが、うーん…。
グルメ?を自称する僕の胃袋に感動を与えるには至らない。不味くはないんだけどね…。
食材は新鮮なのだろうけど、カニは小ぶりで中身が少なく、ホジる難儀さと収穫量があわないし、エビは5センチ位の小さいヤツで、炒め物の中に入っているであろうあわびは見つけるのが困難なほど少量だ。
カニの炒め物
まあ、期待感が大き過ぎた事と連日の美食攻撃のおかげで少々の事では感動しなくなったのであろうな。と自分を納得させ次の行程へと移動する。
さて、お次の行程は香港名物〈2階建てオープントップバス〉を貸切ってネオンきらめく猥雑な夜の香港の街をドライブするというもの。
この日は同乗者が少なく2階最前列特等席に乗り込みスタート!
バスは疾走する! 香港の街中を。
2階から見下ろすと街の雰囲気はずいぶん違う。
トンネルのように林立するネオン看板の下を、バスがくぐり抜けていく感じだ。
香港の看板は、横に対する規則はゆるいが、縦に対しては2階建てバスの高さを基準にしているとガイドが説明していた。
地面を歩いていると生暖かい風も、高い位置にいると心なしかほほにさわやか心地よい。
看板の下をくぐり抜ける感じで・・・。
しばらくのドライブの後、女人街という香港でもっとも有名な商店街にバスを止め、散策する事になる。
とんでもない所である。
屋台が所狭しと立ち並び、まさに“足の踏み場もない”とはこの事。
人口密度?が、一平方メートル当たり3人という感じか!
ちょうど全島エイサー祭りの時の、ピーク時の球場前の混雑を想像すればよろしい。
香港のマチヤグァー(商店街)の様子は、VOL.1で書いているので割愛する。
要するに〈女人街〉は香港のマチヤグァーの最強版なのだ。
疲れたが、とても楽しく充実した一日を過ごし家路(ホテル路)に着く。
さあ、明日はいよいよ初体験マカオ観光だ! 早起きせねば。
まだ見ぬマカオに思いをはせながら、アルコールなしで深い眠りに着く僕であった。
つづく
タグ :香港
2008年04月28日
緊急報告!! ついにポリープ摘出術
緊急報告!!
ついに大腸ポリープ切除。
香港漫遊記シリーズの途中ですが、ここで緊急報告を行います。
かねてよりの懸案事項であった、わが大腸に巣喰い牢名主の如く君臨し大腸に出血をもたらし続けたにっくきポリープ氏の摘出手術を、去った4月の25日に北谷国体道路在玉城クリニックにて敢行した。
以下ドキュメントにて記す。
赤字はオレの心の声
8:30
玉城クリニック到着。受付をする。言いつけ通りに昨夜8時以降飲食物は一切摂取せずに登院。
9:00
看護師より口頭にての問診の後。診察室とは別に奥のくつろぎルーム(勝手に名付けたがソファーが備え付けられ、テレビ雑誌などが閲覧できるゆったりとした空間。点滴を打つ患者さん専用ルームではなかろうか?)に案内される。その後下剤を経口投与。
(カラの大腸をさらに洗浄するため、下剤入りポカリスエット風味の水溶液2Lを2時間で喫飲するよう強要される。心なしか看護師さんが不敵の笑みを浮かべたように見えた。錯覚か?)
(ビールなら楽勝だが、ポカリ味の2L、2時間飲みはちとキツイ。コレもわが身のため。
たっぽんたっぽん言っている腹に無理やり何とか2時間で詰め込む。)
(しかし周りの人はどう思ったろうな? スナック等で使うような水差しの中にこの下剤が入っていて、飲み易いようにとの配慮からアイスベールに氷まで準備されており、コレを普通のグラスでテレビを見ながら薄ら笑いを浮かべたオッサンが飲んでいるのだぞ。まるでどこぞのバーで飲んでくだ巻くひねくれたオッサンそのものじゃないか!)
12:30
途中、当然のことながら何度も便意を催し排便に至るも、便色が透明になるまで手術は出来ないとの事。その時期が来たら速やかに申し出て、看護師が便色の検査をする旨の通達を受ける。
4回目の排便時に試験を受けるも不合格。5回目でやっと合格。
(よくもまあ喰わずとも残存物が腸にはこんなに残っているものだなあ。と関心しきりである?人に便を見せるというのはあまり気分の良い物ではないが、とりあえず合格して手術が受けられる事になったので、ハニカミうれしい。)
13:30
玉城医師の説明(インフォームドコンセントというやつだな)の後投薬。(腸の働きを無力化する)手術に備える。
13:45
肛門よりカメラ挿入。電気メスとともに大腸内を患部方向まで確実に進んでゆく。玉城医師の説明を受けながら、その様子はモニターで確認できる。痛みはほとんどない。
(オレの大腸内はピンクがかっていて健康的である。なかなか美しいではないか。しかし、痛みはないがカメラが奥に挿入される度にムズムズと奇妙な感覚に襲われるのは、もしかして…)
問題のポリープに辿り着く。8mm大の突起物が腸壁に融着しているのが確認され、電気メスにて焼き切る。少量の出血が認められるもクリップにて切除箇所を縫合し手術を終える。手術は問題なく成功である。
(なめこの風船みたいなのが腸壁に不様に垂れ下がっている。その根元にエイッとばかりに首輪様の電気メスを巻きつけバチッと焼ききる。痛みはまったくないが、視覚的には快感である。その後患部をホッチキスみたいなヤツで3箇所丁寧に塞いだ。心配になったがいずれ便と一緒に排出されるとの事。)
14:00
医療用寝台に横たわり点滴にて薬剤投与。休憩しながら経過を観察。
(術後なぜかすごく気持ちよく、点滴中に爆睡してしまった。イビキが気になったが周りにどのような迷惑をかけたかは不明。後の祭り。もしかして睡眠導入剤が入っていたのかもしれない。精神的な安堵感からか目覚めてもすごく快適であった。)
15:40
玉城医師より “ポリープは完全に除去された。良性か悪性かは検査後に通知するが、いずれにしても他に同様のポリープは確認できない為しばらくは安心である。” 旨と今後の注意点等の説明を受け、退院。すがすがしき気分で家路につく。
(8mm位のおぞましい球形の肉塊を見せられた。一週間位は激しい運動や旅行、刺激物の摂取及び飲酒は控えめにとの事。激しい運動はやらない自身があるが、飲酒は…。しかし今日まで我慢している。)
2008年4月28日 13:15 現在
その後、普通の生活をし何事も起こらずに現在に至っている。便色も良好。
何よりも、体のどこかにポリープを持つという罪悪感めいた感覚がオリモノのように沈殿していたが、コレもまた払拭され、洗い立ての真っ白な木綿のシャツのような気分である。(詩的だ…!)
大腸に以上あり。要検査! の診断を下された方は是非カメラ検査を受けることをお勧めする。まったく痛みを感じずに検査をしながらポリープを切っていくのだから一石二鳥である。そして当日に自力で歩いて帰れるのだ。(あくまで健康な人のことだが)
しいて言えば、前日の空腹感と当日のポカリ風下剤一気飲みがちときついが、手術という言葉におびえる事はない。
切除したポリープを見せてもらった。ちっちゃな梅干のような肉塊である。
写真に撮ったので、皆様にお見せしようと思ったが、ヒンシュクを買いそうなのでヤメにする。
是非にという物好きは個人的に連絡を。
終わり
次回より香港漫遊記に戻ります。
ついに大腸ポリープ切除。
香港漫遊記シリーズの途中ですが、ここで緊急報告を行います。
かねてよりの懸案事項であった、わが大腸に巣喰い牢名主の如く君臨し大腸に出血をもたらし続けたにっくきポリープ氏の摘出手術を、去った4月の25日に北谷国体道路在玉城クリニックにて敢行した。
以下ドキュメントにて記す。
赤字はオレの心の声
8:30
玉城クリニック到着。受付をする。言いつけ通りに昨夜8時以降飲食物は一切摂取せずに登院。
9:00
看護師より口頭にての問診の後。診察室とは別に奥のくつろぎルーム(勝手に名付けたがソファーが備え付けられ、テレビ雑誌などが閲覧できるゆったりとした空間。点滴を打つ患者さん専用ルームではなかろうか?)に案内される。その後下剤を経口投与。
(カラの大腸をさらに洗浄するため、下剤入りポカリスエット風味の水溶液2Lを2時間で喫飲するよう強要される。心なしか看護師さんが不敵の笑みを浮かべたように見えた。錯覚か?)
(ビールなら楽勝だが、ポカリ味の2L、2時間飲みはちとキツイ。コレもわが身のため。
たっぽんたっぽん言っている腹に無理やり何とか2時間で詰め込む。)
(しかし周りの人はどう思ったろうな? スナック等で使うような水差しの中にこの下剤が入っていて、飲み易いようにとの配慮からアイスベールに氷まで準備されており、コレを普通のグラスでテレビを見ながら薄ら笑いを浮かべたオッサンが飲んでいるのだぞ。まるでどこぞのバーで飲んでくだ巻くひねくれたオッサンそのものじゃないか!)
12:30
途中、当然のことながら何度も便意を催し排便に至るも、便色が透明になるまで手術は出来ないとの事。その時期が来たら速やかに申し出て、看護師が便色の検査をする旨の通達を受ける。
4回目の排便時に試験を受けるも不合格。5回目でやっと合格。
(よくもまあ喰わずとも残存物が腸にはこんなに残っているものだなあ。と関心しきりである?人に便を見せるというのはあまり気分の良い物ではないが、とりあえず合格して手術が受けられる事になったので、ハニカミうれしい。)
13:30
玉城医師の説明(インフォームドコンセントというやつだな)の後投薬。(腸の働きを無力化する)手術に備える。
13:45
肛門よりカメラ挿入。電気メスとともに大腸内を患部方向まで確実に進んでゆく。玉城医師の説明を受けながら、その様子はモニターで確認できる。痛みはほとんどない。
(オレの大腸内はピンクがかっていて健康的である。なかなか美しいではないか。しかし、痛みはないがカメラが奥に挿入される度にムズムズと奇妙な感覚に襲われるのは、もしかして…)
問題のポリープに辿り着く。8mm大の突起物が腸壁に融着しているのが確認され、電気メスにて焼き切る。少量の出血が認められるもクリップにて切除箇所を縫合し手術を終える。手術は問題なく成功である。
(なめこの風船みたいなのが腸壁に不様に垂れ下がっている。その根元にエイッとばかりに首輪様の電気メスを巻きつけバチッと焼ききる。痛みはまったくないが、視覚的には快感である。その後患部をホッチキスみたいなヤツで3箇所丁寧に塞いだ。心配になったがいずれ便と一緒に排出されるとの事。)
14:00
医療用寝台に横たわり点滴にて薬剤投与。休憩しながら経過を観察。
(術後なぜかすごく気持ちよく、点滴中に爆睡してしまった。イビキが気になったが周りにどのような迷惑をかけたかは不明。後の祭り。もしかして睡眠導入剤が入っていたのかもしれない。精神的な安堵感からか目覚めてもすごく快適であった。)
15:40
玉城医師より “ポリープは完全に除去された。良性か悪性かは検査後に通知するが、いずれにしても他に同様のポリープは確認できない為しばらくは安心である。” 旨と今後の注意点等の説明を受け、退院。すがすがしき気分で家路につく。
(8mm位のおぞましい球形の肉塊を見せられた。一週間位は激しい運動や旅行、刺激物の摂取及び飲酒は控えめにとの事。激しい運動はやらない自身があるが、飲酒は…。しかし今日まで我慢している。)
2008年4月28日 13:15 現在
その後、普通の生活をし何事も起こらずに現在に至っている。便色も良好。
何よりも、体のどこかにポリープを持つという罪悪感めいた感覚がオリモノのように沈殿していたが、コレもまた払拭され、洗い立ての真っ白な木綿のシャツのような気分である。(詩的だ…!)
大腸に以上あり。要検査! の診断を下された方は是非カメラ検査を受けることをお勧めする。まったく痛みを感じずに検査をしながらポリープを切っていくのだから一石二鳥である。そして当日に自力で歩いて帰れるのだ。(あくまで健康な人のことだが)
しいて言えば、前日の空腹感と当日のポカリ風下剤一気飲みがちときついが、手術という言葉におびえる事はない。
切除したポリープを見せてもらった。ちっちゃな梅干のような肉塊である。
写真に撮ったので、皆様にお見せしようと思ったが、ヒンシュクを買いそうなのでヤメにする。
是非にという物好きは個人的に連絡を。
終わり
次回より香港漫遊記に戻ります。
2008年04月27日
香港漫遊記=香港2日目 Vol.1
香港2日目 vol. 1
香港の朝は早い!
今日は出発前に申し込んでいたHISのオプショナルツアーで市内名所観光だ。
市内レストランで朝粥の朝食からツアーのスタートである。
ガイド氏によると香港人は1日5回食べるといわれている。
朝・昼・中・夕・夜
したがって朝は軽く粥で始まるのだという。
この日はあわびと鶏肉の入った粥に点心が数種類。
お粥そのものには味がついておらず、具の鶏肉と干しあわびにしっかりと塩味がつけてある。
前夜のメタボ食いの腹にはあっさりとしていて丁度良い。
粥を口に放り込み咀嚼していると具の旨みと塩味が浸みだしてきて、口中で見事なコラボレーションを奏でる。香港人(中国人)は芸が細かいね~。
ウーロン茶と粥と軽めの点心で済ます朝食は疲れた胃にはすごくやさしい。心なしか健康になった気分だ。
香港の観光といっても、香港島(大陸側)と九龍側があるが何本かの海中道路とフェリーで行き来でき、名所めぐりはほぼ1日で終わってしまう。(詳しくは割愛します)
最近ディズニーランドが出来たのだが、東京のそれよりもしょぼいらしいのでいまいち不評のようだ。

香港名物2階建てオープントップバス。普通のイギリス型2階建てバスもある。

疾走するオープントップバス。あめがふったら? 暑い日は? などと現実的なことばかり考えてしまった。

ビクトリアピークから望む香港の市内。香港はこのようにいつも霞がかっている。ビルの下に雲がたなびく、という光景も珍しくはない。したがって雨も多い街だ。

香港のオフィス街。

中国系の人は信心深い。香港もご他聞にもれずあちらこちらにお寺サンがある。

飲茶を頂く。1997年の返還調印式の後両国のお偉いさんが晩餐会を開いたレストラン。

うわさの香港スイーツ。マンゴープリン。家族全員絶賛超美味。
イギリスとの施政権返還の調印式後、両国の首脳の会食(晩餐会)の会場となったというレストランで飲茶の昼食をとり終えると、(それなりに美味かった!)ほぼ今日の観光は終了。お決まりの免税店での解散となったのが3時過ぎ。
我が家は5時から別のツアーを予約していたのでまだたっぷり時間がある。
免税店には興味がないのでしつこく付きまとう売り子さんを振りきり外へ出た。
香港で楽しいのはやはり街歩き。
買い物好きには別の意味でショッピングの醍醐味を味わえる。
中心街の表通りは世界のブランド品を販売する高級店が立ち並び、世界のセレブ達?がしたり顔で品定めをしているが、その数日本人が圧倒低に多し。日本人はブランドに弱し!
1歩裏道へはいると小汚い(失礼!)マチヤグァーが所狭しと軒を連ね、わけのわからぬ怪しいアクセサリーや服や偽ブランド商品を売っている。
僕はこっちの方が性に合っていて、
『お客さんニセモノあるよ! ローレックスもヴィトンもグッチも何でもあるよ!』
と来る。
『あんたのは高い! あっちはもっと安いよ』
と切り返すと
『あっちのは、C級ニセモノ。ココはA級ニセモノ!!少し高いは、当たり前ネ!』
最近は偽ブランドにはランクがあって、A級品は素人目には本物と殆ど区別がつかないのだという。
もっとも僕の目には本物もニセモノもまるで区別がつかない。本物がどういうものかさえ知らないのだから当たり前か…。
そんなこんなで売り子との真剣勝負でこの値段だ!いやダメだ!電卓で会話し
『オキャクサンニハマケタヨ~。ワタシ、モウケナイヨ!』
とひとまず妥協させ、勝利の満足感で商品を手に入れるが、
うちへ帰って改めて冷静に商品を眺めていると、使い物にならないガラクタばかりなのに気づくが、トキすでに遅し。ヤツらの方が数段上なのであった。
とまあ街をひやかし歩くうちに、約束の5時が近づいてきた。
現地でオプションで申し込んだナイトツアーの集合場所へ行かねばならぬ。
『レイユームーンの夕食とオープントップバス&女人街』
という怪しげなツアー。 いざゆかん!
つづく
香港の朝は早い!
今日は出発前に申し込んでいたHISのオプショナルツアーで市内名所観光だ。
市内レストランで朝粥の朝食からツアーのスタートである。
ガイド氏によると香港人は1日5回食べるといわれている。
朝・昼・中・夕・夜
したがって朝は軽く粥で始まるのだという。
この日はあわびと鶏肉の入った粥に点心が数種類。
お粥そのものには味がついておらず、具の鶏肉と干しあわびにしっかりと塩味がつけてある。
前夜のメタボ食いの腹にはあっさりとしていて丁度良い。
粥を口に放り込み咀嚼していると具の旨みと塩味が浸みだしてきて、口中で見事なコラボレーションを奏でる。香港人(中国人)は芸が細かいね~。
ウーロン茶と粥と軽めの点心で済ます朝食は疲れた胃にはすごくやさしい。心なしか健康になった気分だ。
香港の観光といっても、香港島(大陸側)と九龍側があるが何本かの海中道路とフェリーで行き来でき、名所めぐりはほぼ1日で終わってしまう。(詳しくは割愛します)
最近ディズニーランドが出来たのだが、東京のそれよりもしょぼいらしいのでいまいち不評のようだ。
香港名物2階建てオープントップバス。普通のイギリス型2階建てバスもある。
疾走するオープントップバス。あめがふったら? 暑い日は? などと現実的なことばかり考えてしまった。
ビクトリアピークから望む香港の市内。香港はこのようにいつも霞がかっている。ビルの下に雲がたなびく、という光景も珍しくはない。したがって雨も多い街だ。
香港のオフィス街。
中国系の人は信心深い。香港もご他聞にもれずあちらこちらにお寺サンがある。
飲茶を頂く。1997年の返還調印式の後両国のお偉いさんが晩餐会を開いたレストラン。
うわさの香港スイーツ。マンゴープリン。家族全員絶賛超美味。
イギリスとの施政権返還の調印式後、両国の首脳の会食(晩餐会)の会場となったというレストランで飲茶の昼食をとり終えると、(それなりに美味かった!)ほぼ今日の観光は終了。お決まりの免税店での解散となったのが3時過ぎ。
我が家は5時から別のツアーを予約していたのでまだたっぷり時間がある。
免税店には興味がないのでしつこく付きまとう売り子さんを振りきり外へ出た。
香港で楽しいのはやはり街歩き。
買い物好きには別の意味でショッピングの醍醐味を味わえる。
中心街の表通りは世界のブランド品を販売する高級店が立ち並び、世界のセレブ達?がしたり顔で品定めをしているが、その数日本人が圧倒低に多し。日本人はブランドに弱し!
1歩裏道へはいると小汚い(失礼!)マチヤグァーが所狭しと軒を連ね、わけのわからぬ怪しいアクセサリーや服や偽ブランド商品を売っている。
僕はこっちの方が性に合っていて、
『お客さんニセモノあるよ! ローレックスもヴィトンもグッチも何でもあるよ!』
と来る。
『あんたのは高い! あっちはもっと安いよ』
と切り返すと
『あっちのは、C級ニセモノ。ココはA級ニセモノ!!少し高いは、当たり前ネ!』
最近は偽ブランドにはランクがあって、A級品は素人目には本物と殆ど区別がつかないのだという。
もっとも僕の目には本物もニセモノもまるで区別がつかない。本物がどういうものかさえ知らないのだから当たり前か…。
そんなこんなで売り子との真剣勝負でこの値段だ!いやダメだ!電卓で会話し
『オキャクサンニハマケタヨ~。ワタシ、モウケナイヨ!』
とひとまず妥協させ、勝利の満足感で商品を手に入れるが、
うちへ帰って改めて冷静に商品を眺めていると、使い物にならないガラクタばかりなのに気づくが、トキすでに遅し。ヤツらの方が数段上なのであった。
とまあ街をひやかし歩くうちに、約束の5時が近づいてきた。
現地でオプションで申し込んだナイトツアーの集合場所へ行かねばならぬ。
『レイユームーンの夕食とオープントップバス&女人街』
という怪しげなツアー。 いざゆかん!
つづく
2008年04月23日
香港漫遊記=香港初日
前回よりの続き
さて香港であった。
行く先を香港へと定めた我が宮城家は、4月3日午後5時発の那覇⇔香港就航便に乗り込む。
さすが直行便。飛行時間わずか2時間半。飛行機は小型だが、されど国際線。
スッチーはアジア人で日本語はあまり上手ではない。イイノダ、イイノダ、それでこそ国際線。
期待してなかったが、食事と食前酒が出た。ビールとワインをがぶ飲みしながらラムステーキを頂く。機内食というと大抵マズいのであるがコレがまた美味であった。僕の頭はすでに休日弛緩ムード。いいねえ国際線。

ほとんど衝動的行き当たりばっ旅なので、計画はほとんど立てていない。
イイノダ、イイノダ、何とかなるさ!
なんと言っても香港は食だな、食いモンだな。広東料理に潮州料理、今日の夕飯はどうすべえか? イヤイヤ待てよ~、北京ダックも捨てがたい、鍋料理もうまいと聞く。まだ胃の中に滞留しておるであろうラム君の存在を忘れて、よだれを垂らしながら夢想していると、あっという間に香港国際空港へ到着だ。
香港時間で午後7時。時差1時間。(遅れ)
香港での宿泊先はホテルハーバープラザ。(追加金を払って少しグレードを上げた)
香港最大の繁華街であるチムサアチョイから車で5分ほどの所で、ホテルからチムサアチョイまで無料リムジンバスが20分おきに出ているのでとても便利である。
入国検査やら荷物チェックやらで思いのほか時間を喰ってしまい。おまけにパックツアーなので全員集合するまで、ホテルまでの送迎バスが発車しない。ホテルに着いたのはなんと9時を過ぎていた。
夜型生活者の宮城家。ココで明日に備えてゆっくり休もうとは思わない。
ちょうど小腹もすいてきた。香港はうってつけの夜型社会。
ホテルリムジンでチムサアチョイの繁華街へGO!
なんとまあ、木曜日の10時前にもかかわらず人の多いこと多いこと…。
僕は返還前の香港に行ったことがあるが、久しぶりの香港もあいも変わらず街なかの雑踏と毒々しげな看板のまるで展示会。いいんだなコレが!
デパートとマチヤグワーとブランド高級店と屋台とレストランと様々な店が混在し、怪しげな呼び込みニーチャンとこれまた怪しげなポン引き風オババとチラシ配りが声をかけてくる。
しかし不思議と危険を感じない。これぞ香港! わがコザとの共通点有也。


さて、夜遊びくいんしん坊一家は街中の色々な展示品に目を奪われつつも、時速0.5Kmの超低速で町を散策。ある一軒の店にたどり着く。
『有骨気火鍋餐店』
この店を選んだ理由。
つたない英語が何とか通じた事と、平日にもかかわらずお客さんが入っており殆どが地元の庶民と学生風。
値段が高い筈がない。
あと日本語のメニューが準備されていた事と長年の経験によるカンですよカン!
要するに、鍋物の専門店である。アチラでは火鍋といい日本とほぼ同じスタイルで食すが、ただ違うのは日本みたいに海鮮とか肉とか分けるのではなく、とにかく何でもぶち込んでしまう。牛肉も豚肉も白身魚もイカもチキンも点心も葉野菜も根菜もとうもろこしもうどんもみ~んなぶち込んで、ワッシワッシとひたすら喰う。なぜかスープだけはとんこつだのマカオ風だのトムヤムクン風だの色々選べる。
少々気持ち悪そうだが、特性のタレにつけて食うとコレが奇妙なウマさなのだ!


チャンプルー鍋メタボ喰い(食べ放題でした)ビール3本で家族4人で7000円位であった。
さあ明日は6時おきだぞ!
満足した気分で、どんよりと生暖かい風をほほに受けながら帰途についたのはすでに12時を過ぎていた…。
つづく
さて香港であった。
行く先を香港へと定めた我が宮城家は、4月3日午後5時発の那覇⇔香港就航便に乗り込む。
さすが直行便。飛行時間わずか2時間半。飛行機は小型だが、されど国際線。
スッチーはアジア人で日本語はあまり上手ではない。イイノダ、イイノダ、それでこそ国際線。
期待してなかったが、食事と食前酒が出た。ビールとワインをがぶ飲みしながらラムステーキを頂く。機内食というと大抵マズいのであるがコレがまた美味であった。僕の頭はすでに休日弛緩ムード。いいねえ国際線。
ほとんど衝動的行き当たりばっ旅なので、計画はほとんど立てていない。
イイノダ、イイノダ、何とかなるさ!
なんと言っても香港は食だな、食いモンだな。広東料理に潮州料理、今日の夕飯はどうすべえか? イヤイヤ待てよ~、北京ダックも捨てがたい、鍋料理もうまいと聞く。まだ胃の中に滞留しておるであろうラム君の存在を忘れて、よだれを垂らしながら夢想していると、あっという間に香港国際空港へ到着だ。
香港時間で午後7時。時差1時間。(遅れ)
香港での宿泊先はホテルハーバープラザ。(追加金を払って少しグレードを上げた)
香港最大の繁華街であるチムサアチョイから車で5分ほどの所で、ホテルからチムサアチョイまで無料リムジンバスが20分おきに出ているのでとても便利である。
入国検査やら荷物チェックやらで思いのほか時間を喰ってしまい。おまけにパックツアーなので全員集合するまで、ホテルまでの送迎バスが発車しない。ホテルに着いたのはなんと9時を過ぎていた。
夜型生活者の宮城家。ココで明日に備えてゆっくり休もうとは思わない。
ちょうど小腹もすいてきた。香港はうってつけの夜型社会。
ホテルリムジンでチムサアチョイの繁華街へGO!
なんとまあ、木曜日の10時前にもかかわらず人の多いこと多いこと…。
僕は返還前の香港に行ったことがあるが、久しぶりの香港もあいも変わらず街なかの雑踏と毒々しげな看板のまるで展示会。いいんだなコレが!
デパートとマチヤグワーとブランド高級店と屋台とレストランと様々な店が混在し、怪しげな呼び込みニーチャンとこれまた怪しげなポン引き風オババとチラシ配りが声をかけてくる。
しかし不思議と危険を感じない。これぞ香港! わがコザとの共通点有也。
さて、夜遊びくいんしん坊一家は街中の色々な展示品に目を奪われつつも、時速0.5Kmの超低速で町を散策。ある一軒の店にたどり着く。
『有骨気火鍋餐店』
この店を選んだ理由。
つたない英語が何とか通じた事と、平日にもかかわらずお客さんが入っており殆どが地元の庶民と学生風。
値段が高い筈がない。
あと日本語のメニューが準備されていた事と長年の経験によるカンですよカン!
要するに、鍋物の専門店である。アチラでは火鍋といい日本とほぼ同じスタイルで食すが、ただ違うのは日本みたいに海鮮とか肉とか分けるのではなく、とにかく何でもぶち込んでしまう。牛肉も豚肉も白身魚もイカもチキンも点心も葉野菜も根菜もとうもろこしもうどんもみ~んなぶち込んで、ワッシワッシとひたすら喰う。なぜかスープだけはとんこつだのマカオ風だのトムヤムクン風だの色々選べる。
少々気持ち悪そうだが、特性のタレにつけて食うとコレが奇妙なウマさなのだ!
チャンプルー鍋メタボ喰い(食べ放題でした)ビール3本で家族4人で7000円位であった。
さあ明日は6時おきだぞ!
満足した気分で、どんよりと生暖かい風をほほに受けながら帰途についたのはすでに12時を過ぎていた…。
つづく
タグ :香港
2008年04月08日
お久しぶりです!そして香港漫遊記。
気がつけばもう一月以上ブログを更新していない。
『多忙であった』
などと言い訳はもはや通用しますまい。単なるフユー(ものぐさ)であります。
『これからはまじめに定期的に書きます。心を入れ替えます。』
といっても誰も信用してくれないので、せめて
『気が向いたときに、面白い事を渾身の力を込めて書きます。』
ぐらいの宣言にとどめて置きます。
このB級ブログ空白の期間、時々覗いてくれている友人達何名かが電話をくれた。
『ブログ更新してないけど、忙しいの?』
さりげなく聞いてくる。まだカワイイ。
ひどい奴になると。
『最近書いてないなぁ! いまひょっとして病院?』
露骨に探りを入れてくる。あの大腸がん疑惑事件以来(2/16『告白』参照)どうもその話題が付きまとう今日この頃なのだ。
“憎まれっ子世にはばかる”
でこの通りぴんぴんしている。
さて話は変わり、4/3から3泊4日で香港へ行ってきた。
ホテルも繁忙期が去り少し落ち着いてきた。3~4日ならお休みが取れそうである。
「どこかへ命の洗濯にいきたいね~」と精神的疲労のピークにある女房と話していた所。
《香港⇔沖縄定期便就航記念につき、香港3泊4日キャンペーン価格39800円也》
3月某日の朝刊にいきなりこのような広告が出ておるではないか!
どこをどうやったらこんな価格が出るのだ! ホテル代込み~?どんなからくりだ!
観光業の端くれにいる者としては、怒りにも似た感情がこみ上げてくるが、しかし。
これは個人的には『渡りに船』『天の思し召し』だ。気を取り直し主催旅行者のHISに駆け込む。
人は常に自分中心に物を考える都合の良い葦なのである。
やはり世間は目ざとい。広告の当日でもう満席状態…。
そこで、トホホ…と期待を裏切られたショックで肩を落としうなだれ、あきらめ、放心状態で進められるままに他の高価なツアーを夢遊病者のように選択してしまうのは、シロートの所業。
観光業の端くれにいる物としては、ココでしばし一考。
〈キャンセルは必ず出る。ここは待ちだ!〉
家族4人分。満を持してキャンセル待ちを申請する。
そして深い?読み通り。二日後に“飛行機の座席ホテルとも取れました”との連絡がHISより入る。
かくして、宮城家4人の久しぶりの家族団らん緊急香港ツアーがはじまる。
つづく
2008年02月25日
おきなわマラソン続報!
昨日お送りしたおきなわマラソン速報に追加報告あり。
速報で伝えた通り、一般女子の部10Kmは1位から6位までをデオデオの選手が独占。(報道では広島県とのみ表記)
名古屋国際女子マラソン出場の内田尚子選手が見事優勝。
ココまでは順調に予想通り。
ところが…である。
ブログでの速報をアップした後、早コーチからの
『ウチの男子選手がトップ集団に喰らいついている。テレビを見てほしい』
との報が入る。やや興奮し声が上ずっている。
目に入ってきた映像は35km過ぎの北中城の見慣れた風景に、毎日見慣れているデオデオ
窪岡晃選手の先頭集団どころかトップを力走する勇姿。
そのまま1位でゴールに駆け込んだ。
2時間25分12秒。
これはドラマだ!
彼は正直言ってノーマークの選手。
まず監督が驚いた。同僚選手も驚いた。
一番驚いたのは本人。
しかも、おきなわマラソンは彼にとっての初マラソン。
もともと中距離の選手でマラソンの持ちタイムがないので、自分がどの位置にいるのかわからない。
それが有力選手や招待選手を向こうに回してのぶっちぎり堂々の優勝である。
彼は陸上長距離の名門校山梨学院大学を去年卒業して、地元広島に本社があるデオデオへ入社した社会人1年生。
ところがデオデオには女子陸上部しかないため、陸上部のトレーニングコーチをしながら一人黙々と練習を積んでいた模様。
僕の祝福の言葉に彼が返した。
『優勝するなんて、夢にも思いませんでした。これも合宿の間のデイゴの美味しい食事と環境のおかげです!』
多少の僕の誇張は許してほしい。
しかし…。泣ける言葉だ。

優勝のご両人
速報で伝えた通り、一般女子の部10Kmは1位から6位までをデオデオの選手が独占。(報道では広島県とのみ表記)
名古屋国際女子マラソン出場の内田尚子選手が見事優勝。
ココまでは順調に予想通り。
ところが…である。
ブログでの速報をアップした後、早コーチからの
『ウチの男子選手がトップ集団に喰らいついている。テレビを見てほしい』
との報が入る。やや興奮し声が上ずっている。
目に入ってきた映像は35km過ぎの北中城の見慣れた風景に、毎日見慣れているデオデオ
窪岡晃選手の先頭集団どころかトップを力走する勇姿。
そのまま1位でゴールに駆け込んだ。
2時間25分12秒。
これはドラマだ!
彼は正直言ってノーマークの選手。
まず監督が驚いた。同僚選手も驚いた。
一番驚いたのは本人。
しかも、おきなわマラソンは彼にとっての初マラソン。
もともと中距離の選手でマラソンの持ちタイムがないので、自分がどの位置にいるのかわからない。
それが有力選手や招待選手を向こうに回してのぶっちぎり堂々の優勝である。
彼は陸上長距離の名門校山梨学院大学を去年卒業して、地元広島に本社があるデオデオへ入社した社会人1年生。
ところがデオデオには女子陸上部しかないため、陸上部のトレーニングコーチをしながら一人黙々と練習を積んでいた模様。
僕の祝福の言葉に彼が返した。
『優勝するなんて、夢にも思いませんでした。これも合宿の間のデイゴの美味しい食事と環境のおかげです!』
多少の僕の誇張は許してほしい。
しかし…。泣ける言葉だ。
優勝のご両人
2008年02月24日
おきなわマラソン速報!
沖縄マラソン速報!
やはり…。
おきなわマラソン女子10Kmでデオデオ1位から6位まで独占!!
マネージャーからの電話報告なのでタイム等わからず。
しかし、名護の高校生にすごく早いのがいて何人かは負けたとの事。
詳細は後ほど。
やはり…。
おきなわマラソン女子10Kmでデオデオ1位から6位まで独占!!
マネージャーからの電話報告なのでタイム等わからず。
しかし、名護の高校生にすごく早いのがいて何人かは負けたとの事。
詳細は後ほど。
タグ :おきなわマラソン
2008年02月23日
おきなわマラソン
湘南シーレックスのキャンプももう残すところあと2日になった。
長いようで短く、短いようで長かったような、終焉が近づくと妙に物悲しくなってきた。
ここまで特に大きな失敗もなく無難にこなしている…。はずだ。(小さなミスは星の数ほどある)
この同時期に、デイゴホテルはシーレックスほか宇津木麗華監督率いる昨年の覇者日立ルネサス女子ソフトボールチーム、古豪復活をかけるデオデオ陸上部も合宿を張っており一般客は一人もいない。
そのデオデオ陸上部の女子選手9人が今日(2/24)開催の中部の一大イベント、おきなわマラソンの10Km部門にキャンプの締めくくりとして一般参加で出場するという。本来ならフルマラソンの招待選手級の実力の面々。(男子選手もフルマラソンに出場するが持ちタイム不明)
デオデオ陸上部はここ最近はめざましい活躍はないものの、かつては名選手を多数輩出した名門。
今回おきなわマラソンに出場の選手の予想タイムは35~36分。
昨年のおきなわマラソン女子10Kmの優勝タイムは39分台。
ということは…。順調に行けば…。
1位から9位までデオデオだっ!

出場選手の一人、内田尚子選手。今年の名古屋国際女子マラソンにも出場する。
2008年02月16日
告白!
告白
バレンタインデーのことではない!
私自身の体のことである。
1月の25日に会社で集団検診なるものを行った。(これは義務らしい)
検便・検尿・採血・飲バリウムレントゲン等かなり本格的なものであった。
その結果。
ある程度は覚悟していたが、やはり日頃の不摂生の賜物で肝臓及び中性脂肪にやや突出の検査結果が出た。これはいつもの事なので生活を改めること、運動及び粗食の励行の誓いを立てたのであるが…。
検診結果のほかに『担当医殿』という別封筒が添付されている。
《大腸ガンの疑いあり。要再検査》という旨の紹介状であった。
が~ん!
目の前が真っ暗になった!
母親も3年前に大腸がんを切っている(今ぴんぴんしている)。
もうこれは疑いもない。進行癌ならアウトだ。
借金はどうしよう! あと継ぎは? 遺書は?
小心者の僕はあらぬ方向へ豊かな想像力を発揮する。
ここで登場。超おせっかいやきの姉。
ダンナが医者なのでわが親族の健康管理にやたらうるさい。
その姉より、コネのある中部の某大病院への予約の申し入れがあった。
あまのじゃくの僕は普段なら“自分で予約するからイイ”と断るのであるが(結果が姉に筒抜けになり今後の生活に不自由するので)、今回ばかりは小心者の僕が頭をもたげ素直に申し出を受ける。
そして某大病院への通院日。この日は医者の問診を受け検査日を確定する。
ナント、医者の説明によると大腸カメラによる検査は立て込んでおり、予約可能日が40日後との事。
こればかりは姉のコネも通じない。小心者の僕は進行癌に侵されて、もはや手術不能な状態の40日後の自分の姿を想像する。
これはイカン!
思い込み激しき小心者は、すぐさま我が偉大なるかかりつけ医、源河茂医師(漫遊国議長)の存在を思い出し、同医院に駆け込み専門医への紹介状を書いてもらう。
事はとんとん拍子に進み、北谷のたまきクリニックを紹介されその日のうちに通院、翌々日にとりあえず大腸のレントゲンでの検査を行うということで落ち着いた。
一日に三つの病院へ通うというのは初めての経験だ。
検査当日、前日の空腹に耐え通院し検査は15分で終わった。
肛門からバリウムを注入しレントゲンを撮るという荒業で、肛門から異物を混入するという新感覚の妙な気分であった。
結果。
『ポリープが1箇所認められるも、良性。ただし放置すると癌へ進行する恐れあり。一年以内に切除すべし。手術はいたって簡単。』
説明する玉城医師が救世主に見えた。
説明も易しく、わかりやすい。彼はきっと絶対名医だ。
手術の日取りを予約したのは言うまでもない。
帰りに道のりも足取りも軽い。健やかに穏やかに安眠できそうだ。
ウチに帰ると、女房が結果報告をするまでもなくすでに知っている模様。
そして妙にやさしい。
新たなる疑惑が…。
もしや…玉城医師から女房に電話があり。
『旦那さんは、もはや手遅れ末期ガン。せいぜい残りの人生を楽しませてあげなさい。』
と告げられたのでは…。
小心者の僕の眠れない日々が続く…。
バレンタインデーのことではない!
私自身の体のことである。
1月の25日に会社で集団検診なるものを行った。(これは義務らしい)
検便・検尿・採血・飲バリウムレントゲン等かなり本格的なものであった。
その結果。
ある程度は覚悟していたが、やはり日頃の不摂生の賜物で肝臓及び中性脂肪にやや突出の検査結果が出た。これはいつもの事なので生活を改めること、運動及び粗食の励行の誓いを立てたのであるが…。
検診結果のほかに『担当医殿』という別封筒が添付されている。
《大腸ガンの疑いあり。要再検査》という旨の紹介状であった。
が~ん!
目の前が真っ暗になった!
母親も3年前に大腸がんを切っている(今ぴんぴんしている)。
もうこれは疑いもない。進行癌ならアウトだ。
借金はどうしよう! あと継ぎは? 遺書は?
小心者の僕はあらぬ方向へ豊かな想像力を発揮する。
ここで登場。超おせっかいやきの姉。
ダンナが医者なのでわが親族の健康管理にやたらうるさい。
その姉より、コネのある中部の某大病院への予約の申し入れがあった。
あまのじゃくの僕は普段なら“自分で予約するからイイ”と断るのであるが(結果が姉に筒抜けになり今後の生活に不自由するので)、今回ばかりは小心者の僕が頭をもたげ素直に申し出を受ける。
そして某大病院への通院日。この日は医者の問診を受け検査日を確定する。
ナント、医者の説明によると大腸カメラによる検査は立て込んでおり、予約可能日が40日後との事。
こればかりは姉のコネも通じない。小心者の僕は進行癌に侵されて、もはや手術不能な状態の40日後の自分の姿を想像する。
これはイカン!
思い込み激しき小心者は、すぐさま我が偉大なるかかりつけ医、源河茂医師(漫遊国議長)の存在を思い出し、同医院に駆け込み専門医への紹介状を書いてもらう。
事はとんとん拍子に進み、北谷のたまきクリニックを紹介されその日のうちに通院、翌々日にとりあえず大腸のレントゲンでの検査を行うということで落ち着いた。
一日に三つの病院へ通うというのは初めての経験だ。
検査当日、前日の空腹に耐え通院し検査は15分で終わった。
肛門からバリウムを注入しレントゲンを撮るという荒業で、肛門から異物を混入するという新感覚の妙な気分であった。
結果。
『ポリープが1箇所認められるも、良性。ただし放置すると癌へ進行する恐れあり。一年以内に切除すべし。手術はいたって簡単。』
説明する玉城医師が救世主に見えた。
説明も易しく、わかりやすい。彼はきっと絶対名医だ。
手術の日取りを予約したのは言うまでもない。
帰りに道のりも足取りも軽い。健やかに穏やかに安眠できそうだ。
ウチに帰ると、女房が結果報告をするまでもなくすでに知っている模様。
そして妙にやさしい。
新たなる疑惑が…。
もしや…玉城医師から女房に電話があり。
『旦那さんは、もはや手遅れ末期ガン。せいぜい残りの人生を楽しませてあげなさい。』
と告げられたのでは…。
小心者の僕の眠れない日々が続く…。
タグ :大腸がん
2008年02月14日
怒・怒・怒 vol.2
怒・怒・怒 vol.2
米兵女子中学生暴行事件の余波がかなりの波紋を広げている。
米兵の教育の徹底
事件の徹底究明
日米地位協定の運用見直し
の文字が新聞紙上に溢れる。
今回はどういう訳か米側の対応も妙に紳士的で神妙でさえある。
何か意図する所があるのであろうか?
などと過去のいきさつからして勘ぐりたくもなるのであるが…。
過去のことを思い出す。
日本復帰(1972年)前。
米統治下の時代。米兵がらみの事件が起こり、住民が騒ぎ抗議行動を展開すると
“米兵の犯罪に対する制裁と自粛”
“地元住民との摩擦・トラブルの回避”
を理由に、オフリミッツ令を全軍に発令する。
米兵及びその家族は基地外へ出てはいけない。という外出禁止令である。
するとどうなるか…。
米軍関係者の購買消費活動で生計を支える、コザの商売人はこれはたまったものではない。
BCストリート(現 中央パークアベニュー)やゲート通りの商店街から米兵が姿を消し軒並み売上ダウンを余儀なくされ、その状態が長く続くと経営の危機に瀕する。
すると商店街や通り会のどこからともなく
『オフリミッツを解除してくれ!』
悲痛な要請がなされる。
『米軍が駐留するから生活できるのだよ、逆らっちゃだめだヨ。』
と、ばかりに大国であり占領国である力をみせつけながら、やがて重い腰を上げオフリミッツ解除となる。
そんなことを何回か繰り返しながら、お互いおかれた立場を再認識させ、巧みに知らぬ間に意識下に刷り込んでいくのであった。
コザの人たちは、そんな環境にも卑屈になることなく立ち回り、制度の隙間を巧みにくぐり抜け経済活動を営み、家庭を育み町を形成していった。
しぶとく、したたかにかつ精力的に生きてきた。
そしてそこに独特のコザ文化なるものが生まれた。
この事件は、この町の経済活動に少なからず影響を与えるだろう。
こんなくだらない出来事で、この町を寂れさせたくない。
幾度となく苦難を乗り越えてきたのだ。
めげる事なく現実に立ち向かっていこう。
米兵女子中学生暴行事件の余波がかなりの波紋を広げている。
米兵の教育の徹底
事件の徹底究明
日米地位協定の運用見直し
の文字が新聞紙上に溢れる。
今回はどういう訳か米側の対応も妙に紳士的で神妙でさえある。
何か意図する所があるのであろうか?
などと過去のいきさつからして勘ぐりたくもなるのであるが…。
過去のことを思い出す。
日本復帰(1972年)前。
米統治下の時代。米兵がらみの事件が起こり、住民が騒ぎ抗議行動を展開すると
“米兵の犯罪に対する制裁と自粛”
“地元住民との摩擦・トラブルの回避”
を理由に、オフリミッツ令を全軍に発令する。
米兵及びその家族は基地外へ出てはいけない。という外出禁止令である。
するとどうなるか…。
米軍関係者の購買消費活動で生計を支える、コザの商売人はこれはたまったものではない。
BCストリート(現 中央パークアベニュー)やゲート通りの商店街から米兵が姿を消し軒並み売上ダウンを余儀なくされ、その状態が長く続くと経営の危機に瀕する。
すると商店街や通り会のどこからともなく
『オフリミッツを解除してくれ!』
悲痛な要請がなされる。
『米軍が駐留するから生活できるのだよ、逆らっちゃだめだヨ。』
と、ばかりに大国であり占領国である力をみせつけながら、やがて重い腰を上げオフリミッツ解除となる。
そんなことを何回か繰り返しながら、お互いおかれた立場を再認識させ、巧みに知らぬ間に意識下に刷り込んでいくのであった。
コザの人たちは、そんな環境にも卑屈になることなく立ち回り、制度の隙間を巧みにくぐり抜け経済活動を営み、家庭を育み町を形成していった。
しぶとく、したたかにかつ精力的に生きてきた。
そしてそこに独特のコザ文化なるものが生まれた。
この事件は、この町の経済活動に少なからず影響を与えるだろう。
こんなくだらない出来事で、この町を寂れさせたくない。
幾度となく苦難を乗り越えてきたのだ。
めげる事なく現実に立ち向かっていこう。
2008年02月13日
怒・怒・怒
怒・怒・怒!
女子中学生暴行事件。
またまた起こった米兵による蛮行。
コザに住むものとして、ウチナーンチュとして、イッペーワタムゲーイン(はらわたが煮えくり返る)!!
依然、同様の事件が起こった時に僕はたまたま居合わせたのだが
あるエライ議員さんがこの報を聞き、第一声
『ナンデ若い女の子がこんな時間にあんなトコを一人で歩いていたんだ!』
と被害者に対してイカっていたのを目の当たりにしたことがある。
本末転倒ではないか!
一番に糾弾されるべくは加害者であって、被害者ではない。
夜道を一人歩きしてはイケナイ。という法律はないはずだ。
たとえ私的な雑談とはいえ、言葉そのものが重要な意味を持つ政治家の発言である。
被害者の受けた心と体の傷を察すればこんな発言など絶対出てこないはずだ。
その数日後、彼が何名かの議員サン達と厳粛な面持ちで、在沖米軍最高司令官に
“綱紀の粛正”
を申し入れているのをテレビで見た。
今まで何百回となく申し入れをしてきた事だろう。
いつまでもなくならない米兵による卑劣な犯罪。
根絶する解決方法は一つしかない…。
そして、新たなる米軍基地を引き受けるということは同時にそれに付随する犯罪の可能性も引き受ける事になる。
ちなみに先程の議員サンは基地容認派で基地からのなんらかの収入がある。
女子中学生暴行事件。
またまた起こった米兵による蛮行。
コザに住むものとして、ウチナーンチュとして、イッペーワタムゲーイン(はらわたが煮えくり返る)!!
依然、同様の事件が起こった時に僕はたまたま居合わせたのだが
あるエライ議員さんがこの報を聞き、第一声
『ナンデ若い女の子がこんな時間にあんなトコを一人で歩いていたんだ!』
と被害者に対してイカっていたのを目の当たりにしたことがある。
本末転倒ではないか!
一番に糾弾されるべくは加害者であって、被害者ではない。
夜道を一人歩きしてはイケナイ。という法律はないはずだ。
たとえ私的な雑談とはいえ、言葉そのものが重要な意味を持つ政治家の発言である。
被害者の受けた心と体の傷を察すればこんな発言など絶対出てこないはずだ。
その数日後、彼が何名かの議員サン達と厳粛な面持ちで、在沖米軍最高司令官に
“綱紀の粛正”
を申し入れているのをテレビで見た。
今まで何百回となく申し入れをしてきた事だろう。
いつまでもなくならない米兵による卑劣な犯罪。
根絶する解決方法は一つしかない…。
そして、新たなる米軍基地を引き受けるということは同時にそれに付随する犯罪の可能性も引き受ける事になる。
ちなみに先程の議員サンは基地容認派で基地からのなんらかの収入がある。
2008年02月11日
B級ホテルの舞台裏=厨房編
キャンプ・合宿で何が一番大変かと言うと、これはもう圧倒的に食事の提供である。
栄養のバランスよく、かつ美味しく食べやすく、飽きが来ず、が自らに課した基本だ。
プロ野球湘南シーレックスの場合、ビュッフェスタイルで20種類以上50名分前後の料理を短時間でセットする。
暖かいものは暖かく、冷たいものは冷たく、という配慮から直前まで配膳を待つ。
このタイミングが微妙で、それを誤ると提供時間が遅れてお客さんを待たしたり、逆に早過ぎて料理の品質が劣化するという事態を招くのだ。
2月11日現在、デイゴホテルでは湘南シーレックスの他に青森県高体連陸上のメンバーも合宿中で、その後続々と入れ替えで日立ルネサスソフトボール、デオデオ陸上部が入ってきて、今季の合宿受け入れのピークを迎える。
厨房スタッフは正に戦時下の状態に置かれるのである。
最大のヤマ場は2月13日から10日間、毎食100食近く提供するこの時期の飲食部門の一日の殺人的スケジュールをシュミレーションしてみよう。
05:00朝食仕込開始→07:00シーレックス朝食→07:15日立ルネサス朝食→07:30デオデオ朝食→すぐさま朝食の後片付け→同時進行で昼食の準備(シーレックス嘉手納球場へケータリング、日立ルネサス北谷ソフト球場へケータリング、デオデオホテルにて昼食、全て別メニュー)→10:15嘉手納球場へケータリング出発(2名常駐)→11:00北谷ソフトボール球場へケータリング(届けのみ)→12:30デオデオ昼食(ホテル)→すぐさま夕食の準備→17:30シーレックス夕食→19:00デオデオ・日立ルネサス夕食→後片付け・翌日の仕込み。
大まかに書いてもこの通り。その他に食材の発注・買出し調整もろもろ…。説明するだけでもツラクなる。
この時期、特にその力を発揮するのが入社3年目福岡出身「佐藤あすか」厨房エース見習い、若干23歳。栄養士の資格を持つ彼女は、メニュー作成から仕入れの指示、ビュッフェの配置、球団との調整までこなす。合宿受入れ期間中の厨房臨時総責任者に任命。
この3日間朝5時に出勤して深夜に家に帰るという生活だ。
労働基準監督署が聞いたら腰を抜かしそうなハナシだが、聞いてくださいナ、シャチョーの僕が帰れ!と言っても、責任感と向こう気の強いこの九州オナゴはなかなか帰りませんのや。イエイエ、決して残業を強要しておりませんよ!
我々のようなサービス業は(特に中小零細の)、こうやって裏方さんたちの目に見えない地道な努力があってこそ成り立つというもの。
それだから、お客様に
『おいしかった! よかった! ありがとう又来るよ。』
と声をかけられると、疲れも吹っ飛び自分の仕事に誇りが持てるというものだ。
戦の前と後
検品する佐藤。 料理の説明をする佐藤。
2008年02月09日
湘南シーレックスがやってきた!
『お帰りなさい!』
もうすっかりおなじみになった湘南シーレックスの2008年の春キャンプが、本日より嘉手納球場で始まる。
50余名の選手スタッフが昨日の昼過ぎにデイゴホテルにチェックインした。
湘南シーレックスは、プロ野球横浜ベイスターズのファームチーム。
ファームの選手といえども全国から選りすぐりの野球の超優秀選手。
このうちの何人かがプロ野球界のスーパースターとなり、億単位の金を稼ぎ出す事になるのだろう。
キャンプはスタンド席から自由に見学できる。未来のスター達に今から眼をつけておくのも一興である。
田代監督以下コーチスタッフは現役時代球界で活躍したつわもの達、まだまだ現役選手には負けじとその食欲とバイタリティは常人の域を超える。
昨夜も早速、選手のキャンプ地の環境調査と称し(勝手知ったる町なのであるが…)正しい深夜徘徊を敢行した模様。この模様は漫遊国ブログ内のどこかに載っています。
湘南シーレックスは、沖縄市のスポーツ文化の資源であるとともに、大切な経済資源でもあるのだ。
スタッフの皆様には今後もまじめ?に毎晩現地調査に励んでいただきたい。
喜んでご協力申し上げます。

本日の夕食の献立: 握りすし、フライドチキン、エビチリソース、寄せ鍋、茶碗蒸し、冷しゃぶ、ゴーヤーチャンプルー、酢の物、スパゲッティ、イナムドゥチ汁、グリーンサラダ、フルーツ他・・・。
もうすっかりおなじみになった湘南シーレックスの2008年の春キャンプが、本日より嘉手納球場で始まる。
50余名の選手スタッフが昨日の昼過ぎにデイゴホテルにチェックインした。
湘南シーレックスは、プロ野球横浜ベイスターズのファームチーム。
ファームの選手といえども全国から選りすぐりの野球の超優秀選手。
このうちの何人かがプロ野球界のスーパースターとなり、億単位の金を稼ぎ出す事になるのだろう。
キャンプはスタンド席から自由に見学できる。未来のスター達に今から眼をつけておくのも一興である。
田代監督以下コーチスタッフは現役時代球界で活躍したつわもの達、まだまだ現役選手には負けじとその食欲とバイタリティは常人の域を超える。
昨夜も早速、選手のキャンプ地の環境調査と称し(勝手知ったる町なのであるが…)正しい深夜徘徊を敢行した模様。この模様は漫遊国ブログ内のどこかに載っています。
湘南シーレックスは、沖縄市のスポーツ文化の資源であるとともに、大切な経済資源でもあるのだ。
スタッフの皆様には今後もまじめ?に毎晩現地調査に励んでいただきたい。
喜んでご協力申し上げます。
2008年02月08日
腹の立つことPart 2=無断迷惑駐車
前回の事件(腹の立つこと=No show)の怒りも覚めやらぬままの、その2~3日後。
またまた腹の立つことのハナシ。
『前に止めてある車が邪魔で、私の車が出られません! 』
朝9時頃、チェックアウト客の立て込む中、宿泊客からの訴えで駐車場を覗いてみると、沖縄ナンバーの不埒な軽自動車が、縦列駐車で客の車の行く手を完璧に塞いでいる。
イヤ~な予感がした。
やはり…。僕の場合、悪い予感の的中率はよい時のそれよりも極めて高い。
車の鍵は預かっておらず、めぼしい宿泊客・外来客にも問い合わせるも持ち主不明。
車はしっかりドアロックされていて動かすことが出来ない。
お客さんは車を出す事が出来ずに右往左往。約束の時間に遅れるとあせっている。
社用車も出払っており、仕方がないのでの僕の愛車を提供することになった。
僕のその日一日の行動が動脈硬化症状を呈し、B級ホテルの業務に多大なる損害を与えたことは言うまでもない。
しかし考えれば考えるほど腹が立つ!
ケーサツに頼ることも考えたが、それは最後の手段にとっておく事にした。
以前にも何度か同様のことがあったが、こちらが警察官に
『レッカー移動してくれ!』
と血走りマナコで訴えても
『ココオタクの私有地なんでね~、公道じゃないんでね~、引っぱれないのよ!道交法違反じゃないワケ。だから~民事なのよ…。』
と、お得意の民事不介入原則を盾にかわされる。
《ケッ、お仲間の交通巡視員なる方々は交通量の少ない深夜のゲート通りで、黙々と能面無表情顔で違反切符を張りまくっているってのによ!》
と心の中で毒づくが、それでも彼らは迷惑車両には権力を駆使して持ち主を割り出し電話で注意はしてくれるので、保険の為味方につけておこう。
話を戻す。
しかし、たいていの無断駐車車両は後ろめたさからか、入口(出口)の近くの逃げやすい所にひっそりと邪魔にならぬよう目立たぬようコソッと止めるものだ。
他人の所有地で他人の車が出られなくなるような、迷惑で非常識な駐車をするアホで厚顔なヤロー(女かも?)には、免許切り替え時にあの忌まわしい講習を30時間ほど受けさせるべきである。
ウチでは毎夜、防犯のため駐車車両のナンバーチェックをしている。
件の車は昨夜のチェックリストに載っていない。ということは、深夜から未明にかけての蛮行(犯行)なのであろう。
怒りの矛先が収まらず、何か一言いってやりたい衝動に駆られ、迷惑車両をウチの車で前後挟み撃ちにし《フロントまで出頭願いたい》旨の張り紙をして待ち受けていたのであるが、その日はとうとう持ち主現れず。
翌朝現場へ行ってみるとその迷惑車両が忽然と姿を消していた。挟み撃ちの車と車の間の空間をぽっかりと残して…。
あれは、切り返しを125回ぐらいやって抜け出すか、はたまた男性数人で持ち上げて横にスライドさせて逃げ出すかしか手はない筈であるが…。
根性のある迷惑駐車ヤロー(しつこいけど女かも)だ。
いつまでもぶつくさ言ってるとイヤミな男だと思われそうだし、精神衛生上悪いのでこの事件はこれで忘れることにした。
それにしても、車社会の沖縄。100人の人間を集めようとすると100台の駐車スペースが必要になる。
現代社会において、車は確かにドアtoドア人や荷物を運んでくれる便利な代物で輸送手段には欠かせない。
反面、二酸化炭素は撒き散らすわ、化石燃料の枯渇の速度は速まるわ、駐車スペースの確保や道路の整備にも莫大な費用がかかりそうだ。
何よりも、メタボの育成にはすごく良い!
いつの日か、ココ沖縄にも自家用車を必要としない時代が来るのであろうか?
かくいう私も、車を手放せないメタボ男の一人である。

